若年性アルツハイマー病の妻と弥次喜多道中

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zoom RSS 認知症と現代の生き方

<<   作成日時 : 2008/02/03 18:12   >>

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●「頭のてっぺん」で生きている僕は幸せなんだろうか?
「いつ何時に誰とどこで何をしなければならないか」といったスケジュールがびっしり書き込まれたシステム手帳を大事そうにたえず持ち歩き、「履歴書文化」といっていいくらい今まで何をしてきたか、何ができるのかを自分の存在価値として重要視しています。そうしたシステム手帳や履歴書には書かれていないものーたとえば、うれしかったことや感動したことといった心の動きーは、あまり必要とされないかのようです。
・・・・・・・・・
こうした僕たちの暮らしこそ、「頭のてっぺん」に依存した「<超>認知主義的」な暮らし以外のなにものでもありません。
「頭のてっぺん(新皮質の外側)」に過度に依存して生きている限り、僕らは認知症を忌避し、嫌悪し恐怖することをやめないでしょう。
「認知症に対する嫌悪や忌避や恐怖がはびこるこの世をなんとかするにはどうすればいいか」「無理にとりつくろわずに生きられるようにするにはどうすればいいか」をクリスティーン・ブライデンさんのインタビューを紹介しながら提案しています。

《クリスティーンさんは日本のテレビのインタビューで、「自分が認知症と診断されてから、人をその人らしくしているものは何だろうと考え続けてきた」と言っています。そして、「人は『できること』によってその人らしさを成り立たせているわけではないのではないかと考えるようになった」と言っています。さらに彼女は次のように言葉を続けています。
「私は夫のポールと結ばれ、娘たちと触れ合い、友人とつきあう中で、心の中の感情こそが大切なのだと思うようになりました。私は今、庭の美しさを感じ、葉や木々の美しさを感じています。その感じる心こそがその人らしさを成り立たせているのではないでしょうか。人々は過去を忘れないようにし、未来のことを知ろうとすることにとらわれがちです。私は過去や未来がわからないことが喜びに満ちていること、今この時を生きることに専念しています」》
クリスティーンさんは、「頭のてっぺん」に依存して生きる暮らし方から、
「感情や気持ちに十分な居場所を与える生き方」に切り替えることができたのでしょう。
●「認知症の人と僕たちのつながる世界」りんくるvol.9 出口 泰靖氏より抜粋しました。

★私たち夫婦は、この様な考え方で生活をしていませんがよく理解できます。妻は、道端に咲く小さな花々や寒風の中を飛ぶ野鳥、雲の形や流れる様等々に病気以前より心が動かされるようになりました。
本能が壊れた人間(岸田流)にとって、アルツハイマー病の進行とともに、妻はどこに帰ろうとしているのか?

画像
     2月3日am 9時頃  リビングからの雪景色
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コメント(2件)

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「頭のてっぺん」だけで生きている人や、内面無視の価値観にがんじがらめに縛られている人がいかに多いか。

私は、来世を信じている人間ではありませんが、それでも現世の評価、それもわかりやすい評価(学歴・職業・財産・地位・名誉など)に依存しすぎている人が多いことにうんざりしています。

「母には多くのことを学んだ」と言ったら、「認知症の人に学ぶことがあるのか」と言われたことがあります。
生産性があるかないかで人間の値打ちを判断しているタイプです。
これだけ多くの雇用を生み出しているのですから、立派な社会貢献もしているのに、です。

今畜生!と思うことが多いですね。
miki
2008/02/04 16:08
mikiさんへ
ありがとうございます
「認知症になったら人間おしまいだ」だなんて思っている人は、まだまだ多いですね。認知症の進行とともに自尊心が失われていくのではなく、患者に携わる人たちが自尊心を奪って行くのでしょうね。「ぼけても安心して暮らせる社会」の実現ですね。
のんた2号
2008/02/04 23:04

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